農村舞台寶榮座がある怒田沢町

創造的交流で活気を取り戻した怒田沢集落のイメージ(吉田稔画)


 

怒田沢町は紅葉の名勝として知られる足助の香嵐渓から東へ5Kmほど向かった、世帯数13世帯と言う山間の小さな集落です。

 

いくつもの沢から湧き出た清流が町内を流れ、初夏には蛍が舞うそれはそれはのどかな山里です。

 

今は従事する人も少なくなってしまいましたが、林業が盛んで、寶榮座を建てるとき村役衆の「太くていい木を出した人は、いい役をつけるで出しとくれ」という呼びかけに、家の山で一番いい太い木を競って寄付したというから怒田沢町の芝居好きは筋金入りです。

 

そんな集落に立派な舞台が建ったのは明治30年(1897年)ですが、木村妙子著「怒田沢村物語」によると、元の場所に小さな舞台があったそうです。新修豊田市史「別冊建築」の第六章山車・舞台で、農村舞台寶榮座の創建が「再建」となっているのはそのためです。

 

好きこそものの上手なれと言う言葉がありますが、お金のかかる村芝居の費用を捻出するため、「お金を出せばいい役をもらえた」という笑い話のような習わしが伝わる怒田沢歌舞伎も、残念ながら少子高齢化など時代の流れの中で絶えてしまいましたが、今も地域の誇りとなって息づいています。